2018年05月20日

第48回:南原繁(加藤節・岩波新書1997)

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 現在、南原繁の名を聞いて何かしら感じるところがある人は、少なからずアカデミズムの世界に関心のある人だろう。

 戦後最初の東大総長である。
 あるいは丸山真男の師匠といった方が通りが良いだろうか。 
 いずれにしても今や知る人ぞ知るの人物になってしまった。確かに実際、学者として歴史的大著を著したわけでもないし、歴史的大事件の主役であったわけでもない。事件といえばせいぜい吉田茂「曲学阿世の徒」と罵られたことくらいである。

 学者の生き方も人それぞれで、静かに自分の学問分野を修めて学生を指導して一生を終える人もいれば、何か例えばノーベル賞級の発見や学説でセセーショナルに取り上げられる人もいる。あるいは口だけ上手でマスコミに引っ張りだこのガクシャ先生もいる。

 南原繁は静かに学究生活を送るタイプと言えようが、問題は時代である。
 戦争真っ只中、あるいは戦後の混乱期に学問をすることほど難しいことはない。
 敗戦でぐちゃぐちゃの中で、学問という一見生活と切り離された営みを淡々と続けられることはある意味鉄の意志である。それは南原繁が常に理想を見失わない人だったことの証明である。

 そして南原の尊敬できる点は、理想の中で自己満足な踊りをするのではなく、現実とも切り結ぶ覚悟を持った人であったという点である。
 政治哲学は、現実の政治事象に交渉を持つのでなければ無意義である、という信念を持った人、自ら「イデアル・リアリスト(理想主義的現実主義者)」を自認する人であった。そうでなければ、戦後の混乱期に東大総長を6年も務め上げることは難しかったであろう。

 本書は一政治哲学者の評伝ではあるが、学者を志す人へのひとつの指針となる本であると思う。
 成果に目をくらまされることなく、しかし理想を失わず、淡々と日々を学問に費やすことが不断にできる人こそ学者の名に値する。




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ラベル:南原繁 丸山真男
posted by ガウス at 16:55| Comment(0) | 文系紙本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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